飛躍の年
あの震災から1年。こちらでも被災地の様子がTVのニュース特集やネットを通じて報道され、今日はサンフランシスコでもチャリティコンサートが行われました。
あの日は夜、10時前に呑気にシャワーして寝る準備をしていたら、「日本で何かあったらしいよ。大きな地震みたい。」と友達から連絡があって、「まさか…」と思いながら家に電話してみたら繋がらず、その後も全く電話が通じなくて軽くパニックになりました。
アメリカのニュースではどこで何があったのか直ぐには具体的な報道がなく、ちょっと経ってからようやく日本のニュースをネットでチェックするという基本的なことを思いついて、震源地が東北だったということを知ったほどです。
その後は普段は有料の日本語TVが無料で放送される等(TV Japan様、震災後の1ヶ月間ありがとうございました!)、こちらでも日本のニュースがリアルタイムで見られるようになりましたが、流れてくる映像の余りの衝撃に言葉を失い、原発事故に関する日米の報道の落差に混乱し、意味不明な政府や東電の発表への怒りをブログで垂れ流すということをやってしまいました。
そういうことを書くよりも、笑いと萌えを提供させて頂いた方が少しでも読んでくださる方の気分転換になると思って、色々と考えせられるコメントを頂いた後はサイトの再開に集中することにしましたが…。(あの時は実はブログごとサイトも炎上か?と思っていたんですけど(汗)、お友達ブログの管理人様からの励ましや、皆様からの拍手やコメントに支えられて何とか続けることが出来ました。改めてお礼を申し上げます。)
それと主に東京近辺にお住まいの管理人様方ですけど、当日の帰宅の大変さや、ご自宅で経験された地震の揺れの酷さ、その後続いた余震の影響等を書いて下さってありがとうございました。
女性の視点から体験されたことを読ませて頂いて、色々と考えさせられることが多かったです。
ブログには特に書きませんでしたけれど、カリフォルニアもいつ地震が来てもおかしくありません。実際にあの津波で港に停泊中のボートが損傷する等の被害も出ていて、あの震災の後、改めて地震の際の対応を考えるといったニュース報道や特集が多く組まれ、Disaster Preparedness「防災準備」やEmergency Preparedness「緊急時の防災準備」等のクラスが開かれていました。
私もそういうクラスを受講して、手動式のラジオや1年腐らないお水等々を入れた避難用バッグを準備。後は地震後24時間以内に地元で救済センターを立ち上げるという想定で、電話オペレーターの訓練なんかも受けました。
そもそも電話が通じるのか?っていうのは疑問ですけど、電話でなくても何らかの通信手段があるところにとにかく情報センターを設置して、被災の状況を把握するところから始める。それには動ける人がまずボランティアとして動くというのが大事ということでトライしてみました。
でも訓練とは言え、「被災者」の方から「頼んだ毛布がまだ来ない。」「懐中電灯はどうなった?」「倒壊した建物に生存者がいそうだから様子を見に行きたい。応援はまだか?」等の電話が矢継ぎ早にあると、それに対処するのは難しくかったです。メモを取って相手の連絡先、名前、場所をきちんとフォームに書き込むだけのことにも抜けが多くて、そうなるとせっかく情報を入れてくれた方に連絡が返せない、物資があってもどこに届けていいか分からないという状態になるわけで、参加はしてみたものの、正直、こういう訓練はとても1日や2日ではムリだと思いました。
かと言って、行政が動くのを待っていたらいつ本格的な救助がくるのかわからないのはどこの国も同じ。まず自分が住んでる市の防災対策がどうなっているのか、どんな人が緊急時に動いてくれるのか分かっただけでも参加してよかったと思っています。
後はカリフォルニアに原発が4基しかないというのも初めて知りました。北と南カリフォルニアにそれぞれ一箇所、2基づつ。(もちろん4基もある、という言い方をする人もいます。)
アメリカの人口の12%を抱え、GDPではイタリアに続いて8位というカリフォルニアでこの原発の少なさを可能にしているのは、でもグリーンエナジーを推進してきた…という綺麗ごとだけでは残念ながらありません。
数年前にアリゾナ州がメキシコ系移民を対象にした人種的プロファイリングを可能にする法案を通した時、LAをはじめとするカリフォルニアの市がそれに真っ向から抗議しました。アリゾナの製品をボイコットするという抗議運動に、でもアリゾナはシンプルに答えます。
「じゃあカリフォルニアへの電力の供給を止めるよ。」(LAは水も買ってるらしい。)
それ以降の抗議運動がなし崩しになったことを考えても、カリフォルニアの他州からの電力供給に頼らざるを得なくなっていることは明らか。
夏の間はRolling Blackoutと呼ばれる計画停電がありますし、病院等の施設を優先するため、オフィスのACが止められることも。
うちにはそもそもACすらありませんが、節電・節水は生活の基本になっています。日照時間だけは長いので、ソーラーがもう少し簡単に安く取り付けられるようになれば、もしくは他に電力に変わる何らかの方法があれば直ぐにも変えたいし、Alternative Energy「代替エネルギー」の開発は、それが政治的決断にさえ影響を及ぼす以上、緊急課題だと思います。
グリーンエナジーと言えば、シリコンバレーでは、この震災からの復興を日本にとっての大きな転機、そして新たなる飛躍へのチャンスと捉えているという記事もありました。
こちらの記事には震災後、大企業で職を保証される暮らしではなく、グローバル企業を立ち上げるという全く違う夢を持ってシリコンバレーにやって来た日本の新しい世代の起業家達のことが書かれています。
ソニーやパナソニックなどの日本を代表するべンチャーが創設されて以来、経済発展を遂げた日本からは起業スピリットが消え、日本人はリスクを避けて、終身雇用を求めるようになったと言われ、2010年のGEM(Global Entrepreneurship Monitor)の調査報告では、起業促進という点で日本は22の先進国中、最下位にランクされていたそうです。
でも今や、20年に渡って続いた不況、そして減り続ける人口、そういう中で起こった震災や津波、そしてそれに続いた原発事故が、30前後の若い起業家達に、自分自身の手で先の見えない未来を切り開くという決意をさせたと地元の起業家は見ています。
東京にあるスタートアップ支援プログラムを運営する“Open Network Lab”では、震災後にこれまでと全く違う応募者が増えたそうです。
震災前には、大学新卒者やフリーランスのプログラマーが多かったけれど、今は大手のインターネット企業から仕事を辞めてでも参加したいという人が来るようになった。安定した仕事を求めていた人も、震災でこの先が分からなくなり、ある意味目が覚めたようになって、自分の生き方について考えるようになったのだといいます。
2年前にスタートした“Open Network Lab”の最初のクラスには47人の応募がありましたが、この1月にスタートした4期目のクラスには100人近いチームが応募したそうです。
日系アメリカ人のウィリアム・サイトーさんはIMPACT Japanの設立者の一人で、海外で起業について学ぶための奨学金を提供しています。これまでに30人の起業家の卵達をシリコンバレーで研修させ、グローバルビジネスについてのノウハウを提供してきましたが、ようやく起業トレンドが日本に復活してきたようだと語っています。
こちらの記事では、日本のグリーンテクノロジー、そして新しいIT技術への今後の需要に、シリコンバレーの企業がその技術やノウハウを提供できるとして、東北の復興の一環としてグリーンエナジーをベースにした未来型の都市建設まで視野に入れて語っています。
日本が石油危機を経験して新たな技術開発を行ったことを例に挙げて、「必要は発明の母である」という言葉を使った、アメリカのビジネス界の日本への期待が伺える記事もありました。
もちろん震災からたった一年では、地元の方々にはまだ一日一日が大変な日々だと思います。
でも世界は東北を、そして福島を決して忘れません。
私に出来ることは本当に何もありませんが、改めて亡くなった方々のご冥福をお祈りすると共に、地元で困難に直面されている方々に心からのエールを送らせていただきたいと思いました。
今年が日本、そして東北の皆様にとって、発展と飛躍の年でありますように。祈ります。
2012/03/10 23:30 | ニュース・その他 | COMMENT(3) | TRACKBACK(0) TOP
コメント
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No:2054 2012/03/12 17:31 | # [ 編集 ]
秘密のコメ様へ
こんにちは。お久しぶりです!
うちの家族もかなり揺れたと言ってましたし、その後もかなり余震が続いたみたいですよね;
横浜の方だったと思いますが、ビルが揺れて瓦礫が落ちる様子も流れていたので本当に心配しました。
高いビルほど倒壊を防ぐためにしなる(?)とか?
2階でもそんな状態になるなんて…でもご無事でよかったです!
カリフォルニアはアメリカの中でも地震州(?)なので、色んな訓練その他もあれば、ビルの耐震コードも厳しいのですが、東海岸の方はほんとちょっとした揺れでパニックになるようです。
去年8月に首都ワシントンで地震があった後、バージニアで震度4程度の余震があったんですけど、その時のパニック振りときたら…。
まあ全く耐震になってないビルだとそれでもかなり怖いのかもしれないですけど…(^^
この辺は東京ほどの規模ではないけど、いつ来てもおかしくないと言われているのでほんと人事ではありません;
そしてメールの件、お尋ね頂いてありがとうございました!
こちらから出したメールが届かないことはあっても、受信できないことは滅多にない…はずなんですけど、以前にもあったので…また迷子のようです><
もしお手数でなければ再送信して頂くか、またはこっそりこちらに残していただく方が確実かもです。
本当にご迷惑をお掛けしてすみません(_;)
(サイトの方はあれから既存の小説サイト様へお引越しさせていただいて、結局他力本願になってしまいました;)
No:2055 2012/03/17 13:25 | 蛍 #- URL [ 編集 ]
秘密の拍コメ様へ
一応訓練は受けてみましたけど、全然役立たずでした。
PCが使えない、もしくは数が足りない設定で、メモは全て手書きというのが辛かったです;
そしてこちらこそあの時はお言葉かけて頂いてほんとに嬉しかったです!
今回もお返事いただいて色々書きたいことはあるのですが、ブログへの感想も書きたいので、もう少しお待ちを~。
読み応えたっぷりなので、お忙しいとなかなか更新できないと思いますが、また続きを楽しみにしていますねvv
No:2056 2012/03/17 13:26 | 蛍 #- URL [ 編集 ]
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